ポリフォニー・オブ・ライブズ

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全体性の回復

テイラー博士(「言葉」の前の世界 - Pepesyo’s blog)によれば、右脳がもたらす平安な世界はすべてと一体化した、分離を感じない感情を伴った世界のようです。動画ではニルヴァーナ!(天国のよう!)と言っていますね。人にはこのような感覚を持てる機能が備わっているわけですし、私も体験してみたいですが、なかなかそう思うようにはいきません。ただそこに至る鍵は「全体性」ということにあるように思っています。

 

 私たちは合理的な判断を良しとするし、そうありたいと一般的に思うと思いますが、それは全体性を失うことにより成り立ちます。全体を善い・悪い、損・得、正しい・間違っている等に分けて、選択したり、無視したり、議論したり、否定したりして全体を切り分けるわけです。合理的に考えて、合理的な判断は全体性を失います(笑)。だから合理的な判断を超えたところに全体性は回復するはずです。でもこれは合理性の否定ではありません。合理性を超えるということです。

合理的な思考は言葉によるため、言葉によって切り取られた世界をその内に持ちますが、それと同じ境界線をもった世界が、反対側に、非合理的な領域として同時に生まれていることになります。ですが、合理的な思考を続けている限りその反対側の世界に出会うことはありません。暗闇の中に光るサーチライトが暗い世界を見ることができないのと同じです。どこを見ても自分の光が当たっちゃいますから。

認知心理学の分野で有名な「ルビンの壺」と呼ばれる図を以下に示しますが、壺にも見えるし、2つの顔が向かい合っているようにも見えます。

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 これはアナロジーとして考えてほしいんですが、黒いエリアがあるから白いエリアに意味(顔)が生まれ、白いエリアがあるから黒いエリアに意味(壺)が生まれるということです。意味は本来あるものではなく、色の境界線が作りだしているものであることが分かると思います。あなたの思考がその境界線をつくり、その境界線があなたの「顔」をつくっています。一人ひとり思考が異なるので一人ひとり「顔」が異なります。「顔」は線を引き直せばどんな「顔」にでも変えることが可能ですが、その「顔」を見て取れるのは全体を俯瞰できる位置からだけなので、人が自分の「顔」の輪郭を知ることは簡単じゃないのです。

 どうしたら全体を見渡せる位置を見いだせる(全体性の回復)のでしょうか?次回はそこに踏み込んでいきたいと思います。

 

すべての日本国民が幸せでありますように。

 ―言葉に愛と祈りを込めて。