知覚を超えて
祈りは何かを求めるための一つの方法であり、奇跡の媒体です。しかし、意味のある祈りはただ一つ、〈ゆるし〉を求める祈りだけです。なぜなら、ゆるされた者はすべてを所有することになるからです。
いったん〈ゆるし〉が受け入れられると、普通の意味における祈りはまったく無意味になります。〈ゆるし〉を求める祈りは、既に持っているものを認識できますようにという要請以上の何ものでもありません。
真実のすべては等しく真実であり、どの部分であれ真実の一部を知ることは真実のすべてを知ることです。部分的な自覚に関わるのは知覚だけです。知識はすべて一つであり、分離した部分はありません。だから知識と真に一つとなっているあなたは、自分自身を知るだけで良いのです。(奇跡のコース:3)
すべての日本国民が幸せでありますように。
言葉に愛と祈りを込めて。