救済
もし、世界に救済というものがあるとしたら、それはすべての人の内面に、「自分を救えるのは自分しかいない」という気づきがもたらされることであるに違いありません。ちなみに他力信仰においても、差し伸べられた救いの手に気づくは自分であり、握るのも自分でしかありませんからね。
気づきと言うからには、その力は既にすべての人に備わっているのであって、そういう意味では世界はすでに救済が保証されているのです。心配いりません。地面に散った種子が春になれば自然に芽吹くように、気づきは時が経てば自然に訪れます。
すべての日本国民が幸せでありますように。
言葉に愛と祈りを込めて。