ポリフォニー・オブ・ライブズ

ようこそ。新しく生まれる世界へ。楽しく自由な仲間たちによる。

「言葉」の前の世界

私は前に、いま・現在において「初めに言葉ありき」が真実だと書きました。何か考えたり、行動しようとするとき、無意識に言葉の世界にアクセスしていると書きました。初めに言葉があるのなら、善い言葉も悪い言葉もありません。なぜなら、善悪のような価値判断は人(の意識)によるものだからです。たとえて言えば、言葉の海は真っ白な無限のピースで 出来ていて、私たちがそこに自分で色を塗って、塗った色に対して良し悪しを言っているようなものです。

では言葉が起動する前、つまり「初め」の前にはどういう世界があるのでしょうか?言葉の起動には明確な場所があります。それは「脳(主に左脳)」です。パソコンの電源を入れるとすぐにOSが起動するように、人は意識が目覚めるときに、脳の言語中枢と呼ばれる場所が働き始めるのです。人間とパソコンの違いは、パソコンのOSが起動しないと役に立ちませんが、人間の言語中枢が働かないときでも、ある世界が立ち現れる、そしてそれは言葉を介した世界とは全く異なっているということです。

ジル・ボルト・テイラー博士という方をご存知でしょうか?私は「奇跡の脳」という本で彼女を知ったのですが、全く反対の異なる世界(個別化・一体化)の両方を認識するシステムを人間が持っているということを、彼女は脳卒中で倒れてから回復するまでの実体験をもとに、そのリアリティを持ってレポートしています。本人のプレゼンテーションの動画が公開されているのでここにアップします。

 


「奇跡の脳」脳卒中体験を語る / ジル・ボルティ・テーラー

 

言葉が起動して初めて秩序だった世界が立ち現れます。それは個別・主体的に生きることを良しとする世界です。しかし一方で、それは(言葉が起動していない)天国のような平安な世界からの離脱を意味します。脳が左右に分かれているように、世界認識の在り方も全く二つに分かれており、それが人の中で共存しているのです。

それでは言葉を持ちつつ、平安な世界の認識は不可能なのでしょうか?私は可能だと思っています。言葉でなされた分離・個別化は言葉により再び一体化されるのです。

  

すべての日本国民が幸せでありますように。

 ―言葉に愛と祈りを込めて。