ポリフォニー・オブ・ライブズ

ようこそ。新しく生まれる世界へ。楽しく自由な仲間たちによる。

世界の二極化と、その世界からの脱出

世界が大きく二つに分かれてしまっています。よく世界の二極化と言われますが、それはいろいろな観点で認められることです。一部の超富裕層と多くの貧しい人々。グローバリズムナショナリズム。コロナワクチン賛成派と反対派。そして、物質主義とスピリチュアリズム。これは現在進行形で、これら二つの世界は、お互いを排他的に扱うことによって、ますます境界線を明確にし、それぞれ望むこととは反対にそれぞれを強め合っているように思います。

一つの細胞が二つに分かれたのちには、それぞれ別の機能に向かって分裂を繰り返してはいくが、もとの一つの細胞に戻ることがないように、これら二つに分かれた世界は決して二度と交わることはないのかもしれません。私たちはこのような分裂した世界が生まれる時代に、よくも悪しくも生を授かったのです。

しかし、このような世界的な変化が、さらに大きな舞台のうえで繰り広げられているのなら、そして我々がその舞台で繰り広げられている変化の劇を眺める観客であることができるのなら、どちらの世界にも好きなように感情移入できるし、飽きたらその劇を観るのを辞めることもできるでしょう。また同じキャストを使って違う脚本に基づいた違う劇を作ることも可能かもしれません。

違う脚本―――?そうです、私たちは違う脚本を書けるのです。舞台俳優を辞めて、いや俳優を続けながらでも、脚本の改訂に参加することはできるのです。なぜなら世界とは私たちみなが参加している創造の舞台だからです。世界とは、自覚している人、無自覚な人、またそれを否定する人をも問わず、すべての人が参加している創造の舞台だからです。

 

プラネット・ロックダウン

日本では、またコロナウィルスの感染者が増えているようです。岸田総理もワクチンの3回目接種を進めています。

 

2回接種を終えた方もかなりの割合でいるはずなのに、感染者の増大と政府のワクチン接種のさらなる推進。

 

全国のみなさん、いい加減立ち止まって考えるときですよ。

 

質の高いドキュメンタリー・フィルムを見つけました。コロナワクチン接種が進められる裏側で、世界で、何が行われているのか―――。ワクチンについて疑問を持つことは、マスコミでは事実上言論封鎖されています。しかし何故なのでしょう?このフィルムの中では、マスコミでは絶対に取り上げられない、正しさを求める人たちの、誠実な人たちの、抗議の声が、思いが、生々しく、取り上げられています。

英語で1時間49分と短くはないですが、日本語字幕がついているし、おそらく時間を忘れるほど強く惹きこまれると思います。是非ご覧いただきたい!そして周りの人にシェアして頂きたいと思います。

 

狂気は自覚しない限り抜け出すことはできません。

 

rumble.com

創造プロセスの中に溶ける

あなたは決して偶然に存在しているわけではありません。あなた自身を含め、周りに存在する「偶然性」は、あなたの意識のいわば眠りによりもたらされているのです。

あなたが自分自身に目覚めれば、身の周りに起こるすべての出来事は、あなたに呼び掛ける声となり、あなたの行動となって創造的に結晶化されることになるでしょう。

その創造のプロセスに参加している時、「あなた」はそこから消えて、プロセスそのものになるでしょう。「あなた自身である」ということは「あなた」を対象化しています。ですが、あなたがプロセスになるとき意識の中に「あなた」が現れることはありません。あなたが真剣に何かに集中しているとき、歯の痛みや他の心配事があなたの意識から消え去って、その集中が途切れたときに、また思い出すという経験はみんな持っていると思います。

逆説的かもしれませんが、あなた自身になるということは、あなたが世界から消えることです。そしてあなたは世界(創造的世界)そのものになるということです。

 

 

奇跡③

私たちは今、不安定な時代に生きています。。。と書きだそうと思ったら、ふと、安定していた時代なんてあったのかな?と思いました。比較的安定していたのは、ある一定時期の平安時代と江戸時代と戦後日本でしょうか?ひとつの政権が続いているということは安定している証拠でしょうし、戦後日本は生きてきた記憶としてそう言えると思います。

さて、私たちは、基本的な感覚として、安定しているのが日常で安定が崩れる(不安定になる)というのが、非日常のように思っていないでしょうか?もし、そう思っているのだとしたら、少なくとも、今生きている私たちは、本当に幸せな時代を生きてきたか、あるいは遺伝子レベルでポジティブな記憶が刻印されているのかもしれません。

日本は自然災害が多い国で、地震、台風、火山噴火、洪水、干ばつなどは何度も経験していますし、明治以降は、日中戦争日露戦争大東亜戦争と大きな戦争も経験してきました。また、大きな疫病も何度もありました。それにより何人もの人が命を落としました。

しかし、今生きている人たちはすべてこれらの苦難を乗り越えてきた遺伝子を持っているわけです。私たちは突然ポンっと生まれてきたわけではありません。アダムとイヴ(かどうかは定かではありませんが^^;)の遺伝子が途中で途切れずに私たちに伝わっているのです。

何十万年前の昔から、何億、何十億、何百億と遺伝子は個人レベルに枝分かれしてきました。残念ながら途中で途切れてしまった遺伝子も多いでしょう。しかしながら、私たちが生きているということは、少なくとも今現在、過去から生きてきた、困難を乗り越えてきた、強い遺伝子が、私たちの中で生きているということなのです。私たちが今生きている(生かされている)ということは、過去からの命のバトンを受け取っているということなのです。

私たちは自分というものを「孤立した閉じた存在」と考えがちです。だから、小さなことでくよくよしたり、他人と比較して劣等感にさいなまれたりします。でも、そんな小さなものじゃないんです。言ってみればーーー

 

過去から途切れずに繋がっている一本の生命の線 未来に向かってのびている一本の線

 

ですかね。今生きている誰もが同じです。想像してみてください。あなたは小さく閉じているわけではありません。自分を開いていきましょう。大きく、大きく。遺伝子の声を聴きながら。。。

奇跡②

自然は美しくデザインされています。どこもかしこも完璧です。ただ人間だけが未完のままその完璧な自然の中で生き(生かされ)ています。人間は神から憎まれているから未完のままなのでしょうか?完全な人間から悪魔により堕落させられて未完になってしまったのでしょうか?

どちらも答えはNOです。それは人間が自らの力で完成するために、最初から未完であるようになっているのです。自然はすでにそのままで100%の存在です。人間は何パーセントかわかりませんが、仮に90%(の完成度)としておくと、90%+「完成に向かう力」が人間には与えられています。

それは自由な力です。だからもっと未熟になることもできるのです。その力がマイナスに働けば、例えば、90%+(-30%)=60%と簡単な数学でイメージすることができると思いますが、より100%から遠ざかることもあるのですよ。でも、これは自由に選んだ結果ですので、本人からすれば思った通りのゴールかもしれません。

ここに自由意志の秘密があります。神は100%です。でも、私たちは0%~100%まで選べます。すごいことではないでしょうか?神には自由がなく人間のほうが自由なのでは?と思ってしまいませんか?

100%には動きがありません。もし100%が神のつくった自然(ニュートラル)な状態であるのなら、90%(の完成度)の人間には100%になろうとする10%の動きが現れます。また、10%の人間には90%のエネルギーが与えられます。では、100%になってしまったら?エネルギーはゼロになるの?という疑問が湧いてくるかもしれません。でも大丈夫。一つの完成は次のステージの始まりを導きます。次の完成に向かった人生が始まるのです。終わりはありません。

大事なことは、完成に向かうエネルギーをどのように使うかは自分が決めるということです。神でも世の権力者でもなく、私たち自身が決めなければなりません。それが私たち人間にのみ与えられた「奇跡」の「種」であり、また私たちの使命でもあるからです。

 

奇跡

花の美しさって奇跡的だと思いませんか?梅、桜、バラ、スミレ、チューリップ…どんな花でも、どれをとっても完璧に美しい!同じように、犬、猫、馬、ゾウ、イルカ…どんな動物も劣らずに美しいと思います。そのままで美しい。だから、私は世界の背後に素晴らしいデザイナーの存在を想像せずにはいられないのです。その美しさが偶然出来上がるわけがないですから。

奇跡とは、なんでも当たり前だと思ってしまう人には見えないものです。また、理解もできないでしょう。そのような人は世界が自然に安定して与えられると思っているからです。でも実際は、毎秒毎瞬、生と死の激闘のうえでバランスが保たれ、世界が成り立っています。

どうか奇跡を見つけてください。奇跡はあなたに見つけられるのを待っています。奇跡はどこか見えないところに隠れているのではなく、毎日目の前にあるからこそわかりにくいのです。

あなたが奇跡を一つ見つけたら、あなたは奇跡を一つ世界に持ち込んだことになります。金の鉱脈を見つけたら、金が世界に持ち込まれるように。

  • 毎日迎えることができる朝に奇跡をみてください。
  • 一輪のバラの花に奇跡をみてください。
  • 雨上がりに空にかかる虹に奇跡をみてください。

どうでしょう?私たちって相当奇跡に囲まれていると思えませんか?(笑)

 

我々はどこへ行くのか?

私たちは今まさに混乱の時代を生きています。私たちの社会は、一体どこに向かっているのでしょうか?私たちは、いったいどこに向かって生きていくべきでしょうか?

フランスの画家ポール・ゴーギャン(1848-1903)の作品に『我々がどこから来たのか 我々が何者か 我々はどこへ行くのか』という作品があります。

ja.wikipedia.org

絵のタイトルというよりむしろ人生に対する問いそのものであるわけですが、私がこの絵を知ったのは、20年近くも前でしょうか、ある本(何の本か忘れましたが)で紹介されていたからで、「え?私の人生の疑問がそのままタイトルになっている絵がある?」と驚いたのを今でも覚えています。

もちろん、絵の中に答えがあるわけではなく、同じ悩みをもつ一人の男を発見したにすぎませんでした。が、そのうち、答えを探しても見つかるものではなく、この問い(悩み)を生きながら問い続けることを通して、おのずとわかってくるものではないかと思うようになりました。

あなたは何者ですか?あなたはどこへ向かっていますか?この答えを探す旅をしませんか?これらの問いにあなた以外に答えられる人は存在しません。だからこそ人生を賭けて取り組み続ける価値のある問いだと思うのです。